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2018年10月08日

【食べられることは生きること、なのか?】

【食べられることは生きること、なのか?】

ふと思ったヘンなことを書きます。

【とって食べる】のイベントをやっていると、食べることやそれを通した生きることや命について自然とよく考えます。
私たち動物は、他の生き物を食べることなしに生きることはできません。
そして、生き物を食べるということは、その生き物の命をいただくということです。

【とって食べる】のイベントでは、参加者のみなさんといっしょに捕まえてきた生き物を料理して食べます。つまり、生きている生き物(変な言い方)を殺す場面に必ず立ち会うことになります。

僕は、それらの体験を通して自分がどう感じたか(社会的にどう感じるべきかではなく、本音のところで感じたこと)を大切にしてほしいと思っています。
ですので、「命をいただくのだから〜」とか「感謝して食べよう」的なことはあえてあまり言わないようにしています。
あまり身構えることなく、フラットなカジュアルな入り口のほうがよいと思っています。

でも、結果的には「普段食べているものを見直すきっかけになった」「命について考えさせられた」といった感想をよくいただきます。それはとても嬉しいです。

前置きが長くなりました。

食べることは生きること

まさにそう思います。

ところが最近その考えが少し広がって、食べることだけでなく、食べ”られる”ことも生きることなのではないか、とふとした瞬間に思いました。

普通に考えたらヘンなことです。

僕自身は牛なり豚なり植物なりを食べて生きています。
でも例えば僕が佐鳴湖でワニに食べられたら僕自身は死んでしまいます。そこで終わりです。
(今のところ佐鳴湖にワニはいません)

でもそのワニは僕を食べることで生きることができます。

僕という個人は死ぬけど、それによってそのワニ(佐鳴湖の人食いワニとか呼ばれるのでしょう)は生きる。

考える単位を個人(個体)にすると、食べられることは死ぬことですが、視点を変えて生態系で考えれば、食べられることも生きること、ですよね?
誰かが食べられることなしに生態系は存続していけない。

今度は逆に考える単位を小さくして、リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」で言うところの遺伝子で考えてみます。
生き物は遺伝子の単なる「乗り物」ですから、ここでもいち個体が食べられて死ぬことにあまり深い意味はなさそうです。

つまり、いち個人(いち個体)というある限られた状態を単位に考えたときにだけ、食べられて死ぬことに意味が生まれてくるのではないでしょうか?

今のところ以上です。(えー!!)

オチはないんかい!と怒られそうです。

誰かこの話にオチをつけてください。
僕ももう少し考えます。

【食べられることは生きること、なのか?】


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Posted by 昆虫食倶楽部 at 17:13│Comments(0)考えたこと
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